ことしも残り数日 [日々の暮らしから]
今年も、大詰め。
今年はどんな一年だった?とつらつら考えてみる。細木数子さんの占いだとわたしは達成の年にあたっていた。達成?
どうかなぁー。
年の初めに考えていたこと、やりたかったこと、実現したかったこと、半分もできなかったと思います。
課題はそのまま残ったことも多いのですが、色々つながってきたと思えることが今年の収穫かと思います。
今年が素晴らしかったことのひとつ。
おばあちゃんになることはないのではと思っていたのに、孫にあえたこと。おばあちゃんになりました。
おばあちゃんですー。
おばあちゃんの仕事をがんばるからね。よろしく。
それにしても、悲しいことも多い一年でした。
不安や失望や悲しさに押しつぶされそうになりながらも、やはり希望は持たなければならないと思います。オバマさんが次期アメリカの大統領に決まった時、翌日会った友人と乾杯しました。21世紀が分かれ道、希望の年になりますように。
今年最後のちょんぼ。
先日、あるダンスパーティに招待されていました。二分違いで、デモを予定していた人の演技が終わったところに到着しました。十分くらい、言葉がでませんでした。
時間に遅れる癖、のんびりしすぎる癖、甘く考える癖、癖ってなおらないものですね。でももう終わりにしたいです。
2008-10-31 [日々の暮らしから]
何の写真でしょうか。コンクリートの上になにかがいます。
先日田んぼの間を歩いていて旧友に会ったように懐かしくて写真にとりました。今も食用にしているようですが、昔は普通に食べられていたのです。田舎の人に聞くと、あまりいなくなったということです。
今日は十月の終わり、処によっては冬を迎える準備をしはじめているところもあるのでしょうね。
私もあまり寒くならないうちに、重い腰をあげて家の中の入れ替えやガラクタの整理をしようと思っています。仕事をやめてから、三度目、いまだに落ち着かない状態。
そんなわけで今年いっぱいくらいはブログの更新、お休みしようと思います。
帰郷 [日々の暮らしから]
念願だった帰郷、やっと実現しました。二日の小さな旅。お墓まいりも真っ先にすませました。
今は公共の交通手段がなく、車を使わないと回れない距離なので、今回は考えていたところの一部でした。しかし、田舎の秋の美しさと土地の歴史をたずねて満足でした。
墓地より飯沼川周辺
昔の風景を今にかさねて
実家の裏山、あっけらかんと何もなく、一本柿の木が。
鬼怒川の夕景色
坂野家住宅近く。
残念だったのはカメラをもっていかなかったこと。携帯では思うような写真が撮れず、しかも容量がいっぱいで削除を繰り返しているうちに消してしまったものが多くです。
坂野家住宅周辺の里山の美しさは感動的、しかし写真では表現できませんでした。坂野家は古くからの豪農、現存する建物は江戸中期から残る国の重要文化財、この地方の文化を今に伝える貴重な歴史遺産です。
ふうせんかずら夏休み中日記 [日々の暮らしから]
風船かずら夏休み中日記
七月二十六日
梅雨明け宣言はまだらしいけれど、今日も暑い。省エネを実行中。で、扇風機もエアコンもまだつかっていない。暑いけれど我慢できないわけじゃないもの。ノースリーブで頑張っています。
実は翌日、ずっと頭痛。日射病だったのかも。
機械語はむずかしい!!
せっかく書いた日記を消してしまった。まだまだダ―ーーッ。
マニュアルと首っ引きで、夏休み中に勉強しようかなー。コピー機も予約してあるものを取り消す方法がわからないので、ずっと使えないでいます。>_<
憂鬱
夏はスポーツの季節。
相撲、野球、サッカー。毎日、テレビ中継されない日はないから、スポーツ好きにとっては楽しい季節?
でもわたしはこの季節一寸憂鬱。
わたしは音がないほうがいい。スポーツ中継のにぎやかな音はニュースで充分なわたしには騒音だ。そこで棲み分けを考えたのでしたが、夫も居間がいいらしい。唯一のフローリングになっているダイニングキッチンは家事をしながら、ストレッチしたり、ビデオを見たり、本を読んだりするわたしの拠点。かち合った時、どちらが優先権を持つか、一週間で同数にするっていうのはどうかしら。
七月二十九日
消えた夢
木漏れ日がさしこむ緑陰の喫茶室。そこはちいさな図書室でもある。図書室が目的なのか、喫茶室がメインなのかはっきりとはしない。どちらがかけてもならないのだ。
おきにいりのコーヒーカップにコーヒーをそそいているのはわたし。
小さな図書室のあるコーヒー店をひらけたらいいなー。夢は四十代ころから、長い間、心の中に消えなかったが、あるとき、そんな夢を夫に話してっみると。自分を何様だと思っているんだと呆れ顔だった。
そして夢は夢のまま、終わった。働いていたころにすこしずつ買っていた本もスペースがないので、何回か整理して、古本屋に運んだ。もう自分で読むことはないだろうと思うものでも手放すのは思い切りがわるく。が、ごみになるよりせめて古本として誰かの目にとまったらと運んだ。
新しく営業を始めた古本屋では、ダンボールに五、六箱あったが、新刊ではないのでと数百円だった。
夢の図書室は「現実」に姿をかえて、家のあちこちに残した本をよむのはわたしひとり。視力が弱くなって、本をよむスピードもまるで落ちてしまったが、今になって読みたいと思うものは少なくならない。
Y子さん、お久しぶりです。
選挙が済みましたね。少し、驚きでした。これほど、与党が数を減らすとは思わなかったので。
あなたは怒っていましたよね。私も怒っていましたが。そういう怒りがやはり結果に出たということなのかもしれませんね。
言葉のむなしさをずっと感じていました。信頼、改革、美しい国、百年の安心。中身のない空虚な言葉が飛び交っていると思いました。
戦後体制の打破、改革を一貫して推し進めるとしてきた、小泉さん以来の与党。いちばん変わらない古い体制のまま進んできたのでは?
よく検証する必要があると有権者は意識しはじめているということかもしれませんね。そう意識し始めていることが新しい風となって動きが見られたように思います。新しい政治の風は、ともかく古い義理や人情、しがらみからねけだして、深刻化する現実の問題解決を真剣にかんがえる力となるかもしれませんね。信じるという言葉はそれだけでは危うい、軽いものだと思います。疑うこと、事実を直視することを抜きに信頼はないように思います。 選挙で国政を託された民主党、責任は重いと思います。政治への信頼を育てられるように頑張って欲しいですね。
2007-07-16 [日々の暮らしから]
Y子さん、メールを二通うけとりました。ありがとうございました。
365日、精一杯の自分でいることが、苦手、自分の穴の中で、六分くらいの気分次第の生活をしているので、ダンスの発表は特別なハレの日。祝祭みたいに頑張る日です。
いよいよ今度の日曜日です。ところで、ダイエットのほうはどうなったかですって。
やっと4キロ減量のところまできました。あと1キロ減量すると、わたしが目標としている体重なのですが、朝と夜、体重計に乗っているのですが、針はおなじところから動かないのですヨ。
あと一週間で、目標達成とゆきたいのですが。
安保徹先生の本『病気は自分で治す」を読んで目から鱗が落ちたと思うところがありました。体の働き、その成り立ちの基本のことがよくわかったので、また体ばかりでなく、生活全般、生き方にまで関係することがよくわかりました。自分とよく向き合って、バランスをとりながら、できるだけ前向きにを心がけたいと考えています。
今、やりたいことのどれもが、(緊急の第一は家の中の再整理)もう少し、時間をとって集中しないとかたつかないことばかりになっているので、ブログを一月くらい休もうと思っています。
英気を養って、夏休み明けにまたお目にかかりたいと思います。
散々な一日 [日々の暮らしから]
やってしまいました。トホホです。
昨日は夏のように暑い晴天でしたが、今日はうってかわってひんやりと涼しい一日ですね。頭のなかも涼しくといきたいところなのですが、はじめは好調にすべりだしたのですが、午前中かかって書いていたブログ、写真をいれようとあちこちやっているうちに書いた文章がどこにもなくなってしまったのです。いったん保存することをしてなかったようで。>o<
文章なんて、そのときの気分、ひらめきのようなもので、一瞬のうちに消えてしまうともう同じ文章は二度とかけない。ニュアンスが違ってしまうものですね。悔しいけれど。
老後はなぜ悲劇なのか(ロバート・バトラー)という本は、老人は変わらないという、精神医学者の間にも、社会にも広く存在する通念、老人の生活をめぐる多くの困難な問題に正面から挑戦した本としてピュリッツアー賞を受賞した本だそうです。
老人に対する通念にかぎらず、問題を持った時、あるいは問題を持った人に対して、選択肢を狭めたり、失わせるような形で通念が働くことがよくあるように思いますが、通念が変わるのは結果によってのようですね。
ささやかな自然の恵み、写真にとったのでのせます。
夫に食べます?と聴くとノーでした。一人で食べてしまいました。同じ時代に育ったはずなのに私は野生人なのでしょうか。
一寸悔しい思いをしたふうせんかずらより、Y子さんへ
ちょっとした驚きでした。 [日々の暮らしから]
ひとつはもう何十年も前、二十代のころ。社会人を対象とした講座に参加したときのこと。初めの日に二つあった講座のすべての受講者があつまったとき。
経済と文学のクラスでは受講者の雰囲気が違っていた。経済を選んでいる人は積極的、話し方もはきはきしているのに、文学を選んだ人は一様に、口も重く、社交的でもなかった。はっきりした違いに驚いてしまった。今はそんなことはないのではないかと思うのだが。私が受講したのは文学のクラスでわたしも言葉にならないものをいっぱい抱えていた。
もうひとつは子どもが高校生になってからのこと。担任の先生は化学の先生だった。その頃のことを本当はあまり取り上げたくはない。決定的にその後の方向を決めるような選択をしてしまうときがある。
子どもは学校をやめることを考えていた。私はそのことで学校に出向いたのだった。
とてもあっさりした先生だった。そして明快だった。先生の対応に非があったというわけではない。誠実に明快にむきあってくれたのだった。
私が驚いたのは疑問とか、答えの出し方とかがいかに一人一人ちがうかだった。
それはともかく、子どもたちの中学から高校時代を振り返って、私は心の中で、ゴメンねと思うことがある。親として無力だったと。
いまも無力であることにかわりはないが、ずっとそばで見ているからと思う。
秋本番 [日々の暮らしから]
まるで台風のような、激しい雨と風が通り過ぎたあとだからか、空が青い。日差しが反射して、あたり一面、光が輪舞しているよう。こんな日は田舎の秋を思い出します。
ところで、ブログをはじめたものの、そもそもパソコンの操作になれていない私にとっては、ちんぷんかんぷん、トラブル続きです。
トラブル1 ニックネームを風船かずらにしようと思っていたのに、まちがえてすいかずらにして登録。まあいいかとも思ったのですが、変更をこころみたら、登録が消滅。せっかく書いた記事が消えちゃった。???
トラブル2 ドキュメントのフアイルからここにうつそうと思って試みているのに、まだ成功していません。
機械って嫌い〃
と思いながら、初めはこんなもの気を取り直してがんばります。