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黙っていたいと思うけど、、。 [日々のくらしから 家族、社会、自問]

何も言いたくない、いつも葛藤します。ブログも自分のパスワードを忘れてしまうくらい遠ざかっています。昨日与党議員(公明党)が政府への質問に立っているのをたまたま聞いていました。国会の論戦も見たいと思わなくなっていたのに見たのは偶然でした。パソコンでニュースを見ることもそんなに多くない。でもこんな記事や国会での議論に出会ってしまうと、、、。黙っていていいのだろうかと思ってしまう。

 防衛費の無駄遣いワースト5。 割高な兵器を拡大する防衛予算でかいまくり。

 なぜアメリカ陸軍が導入を見合わせたオスプレイをそれより二倍もの価格で購入するの?

 ほかにもっと安価で性能もよい戦闘機があるらしいのに一機200億円という史上最も高価な戦闘機を購入するの?

 その日の暮らしを支えるにも苦労している国民が多い、限界集落になりそうというくらい中央と地方の格差も大きい、解決しなければならない問題は山積して決して税金をふんだんに使えるわけではないのに???未来の子供たちもふくめてしあわせな世界で暮らせますようにと思う国民の一人として考えなければと思う。

 三重中京大学名誉教授浜谷英博三氏の「政府案は間違いなく合憲」という発言の中で、「学者は政策に責任をおっていないし、負わされるべきでもない。そうでないと学問の自由は有名無実になってしまう」 政策の結果に責任を負っているのは政治家。責任を負わない学者の意見は政策を拘束するものではないという。この発言、ごく限られた狭い意味では決定は政府がするのですが、、、なにか根本的に間違っているのではと思うところがありました。

 政策決定の責任は明らかに政府が負うべきものですが、その結果責任を過去において政策決定者がきちんととってきたでしょうか、また本当に結果責任を政府だけが負えるものなのか疑問に感じます。戦争責任一つとっても決定し実行した責任は重大ですがその責任をとれたでしょうか。結果責任をとれるのは政府あるいは政策責任者だけではなく、結果は国民全体、ひとりひとりへの影響にかかってくるのです。結果は全体のもので、その意味でも学者は自分の責任において、専門性において発言しているのでしょう。結果を受け取らざるを得ない国民も考えなければならないのです。

 結果責任を負えないのだからこそ、慎重で謙虚であってほしい、人の意見、国民の声を十分に聞いてほしいと思います。


安倍政権、安全保障関連法案への疑問 [日々のくらしから 家族、社会、自問]

 安全保障関連法案は関連する10ほどの法案の一括審議で、先ほど衆議院で強行可決されました。ふつうひとつの法案でも十分な審議が必要ななかで一括で、百時間ほどの審議をしたから十分議論した、決めるときには決めなければならないという安倍首相、政府の主導で衆議院の審議はおわりました。

 議論に時間をかけるごとに疑問、問題点はどんどん出てきたように思います。多くなる疑問や問題点にはっきりした政府の回答はないまま、その意味では最初から政府の主張と野党の疑問とは平行線の様相で本当に議論が尽くされたとは見えないと思います。

 これからの日本の在り方を左右するだろう基本的重要な問題を数の多数で強行するやり方はファッショ的とさえ言われても仕方がないと思えます。とても民主主義を基本にしているとは思えません。政府が、リーダーは常に一歩大衆より先を読んで歩かなければならないと考えているとしても、国の最高法規としての憲法と立憲主義、国民の代表としての議会を無視したり、ないがしろにしていいことにはならないでしょう。憲法があるにもかかわらず、その憲法を無効にしたヒットラーが進めた過去の歴史。安倍さんに感じる不安の一つがあまりに自分の考え一つでことを運んでいることです。

 政府のこの間の主張は、国際情勢の急激な変化に伴い、緊急の事態、紛争の予防には一国では対処できず、集団的安全保障が必要である。また切れ目のない法整備が必要であるという説明です。

しかしこの主張にもいくつもの重要な指摘、疑問が出されています。 確かに国際情勢は日々激しく複雑に変化していて、その中でどう平和を維持していくか、自分の国と世界との平和をどうしたら図れるのか、単純でも簡単なことでもないということは国民のだれもが考えていることです。

 複雑、様々な動き、努力が重なり合って世界は動いているのですから、平和への努力も色々あってしかるべきだろうと思います。第二次世界大戦後、七十年間、日本が戦争の放棄、武力による紛争の解決はこれを否定、交戦権は持たないということを国の基本として戦争をしないで過ごせてきたのは戦争を体験した国民が過去の戦争の惨禍と犠牲によって戦争の恐ろしさ、愚かさを身をもって知ったことも大きい。平和憲法は押し付けられた憲法だから自主的憲法の制定をと言う主張もありますが、戦争はしてはならない、その理想を戦後日本の人々が自分の理想として歩んできたからだと思います。そしてその理想はこれからも国内にあっても、国際の関係にあっても引き継がれ追求されていかなければならないことではないでしょうか。

 私は政治的な発言をすることはあまり好きではありません。政治はエゴのぶつかり合いですきになれないからなのです。でも個人的な自分なりの生き方、努力、多様性などひとたび戦争になれば意味を持たなくなってしまうのです。個人などはなくなり、一つになって同じ方向に走り出さなければいけなくなるのが戦争です。相手の国の人にとっても同じでしょう。戦争は殺し合いなのですから。一度だけ自分の気持ちを書くことにしました。

 友人の一人に両親が戦争が始まろうというとき戦争反対の運動に参加して、故郷の人には赤と指差され、反戦運動をしたために一番危険といわれていた中国の前線に送られた人があります。父親のあとを追うようにして一家は中国に渡ったようです。父親は戦死し、母親と一番年上の十二、三才くらいの兄を先頭に幼い弟妹の手を引いたり背負ったりしながら、五人で高粱畑の中を昼間隠れ、夜に歩くようにしてやっと帰国してきました。彼女は非国民といわれても子供を戦争にはいかせないといいます。 徴兵制がなぜ苦役なのかと石破さんはいいました。国を守ることなのにということなのでしょう。なぜ苦役でないのか、戦争という手段を認めたくない私はどうしたら良いのかと思い惑ってしまいます。戦争をしないで共生する道を探したいです。

 先日の新聞に日本が購入することになっているオスプレイ17機のうち、第一陣5機、410億円が発注されたと報道されていました。財政難の中戦費もふくらんでいるのですね。


コミュニケイション下手 [日々のくらしから 家族、社会、自問]

 「愛と愛好はちがう」などの著者であるバスカリアさんは著書のなかで子供時代の家族について、「裕福ではなかったが、家族の全員がみんなの問題について、いろいろ意見を出し合って助けたり、どんな困ったことでも話を聞いてもらうことができた。それは小さな子供でも年齢や親子、兄弟の上下関係とかなく、一人ひとりの意見として対等に受け入れられた。だから、生きていくことに勇気をもらえた」と言っています。

 私は自分の子供のころを振り返ってどうだったかしらと考えます。母は優しい人でした。母が大好きだったという意味で母娘の一体感はあったと思いますが、バスカリアさんの言うような家族がみんなで意見を出し合って、助け合えたというところは随分違うなという感じがしました。

 本当にこんな暖かな、家族のみんながお互いを大切にして自分のこととして意見を出し合える家族だったら、少々の困難にであっても勇気をもらえることでしょう。しかし、日本では少なくない家庭で、家族だからこそコミュニケイションがむずかしい、本当は大事なこと、心の底で思っていること、本当は分かってほしい気持ちが伝えられることがなく、一人一人孤立化と家族の機能不全に陥ってしまっているなんてことはめずらしくないのではないかと思います。コミュニケイションが下手な理由はいろいろあるように思いますが、これって重要だなと思います。

 日本の家族の伝統の中にもともと自由な会話という伝統は少なく、一家の長や目上の人の考えに従うことが多い、直接言葉にしなくても何となく察するという配慮など日本人らしい心の使い方が生活の全般に行き渡っていたように思います。察するということには良い面もありますが限界があると思います。現代のストレスが過剰にひとりひとりに直接働く社会ではその一人一人の問題として表に表現されなければうちにこもって内向してしまうばかりです。昔からの伝統的なコミュニケイションでは限界があるのではないかと思います。

 私もそんなコミュニケイションのむずかしさをながいこと感じてきました。話せない、伝わらない、相手の考えや本当の気持ちがわからない、家族のことで悩んでいるときそんな苦しさを味わっていました。 生まれてこなければよかった、その言葉を何度聞いたことでしょう。辛いことは分かっていましたがどうして? わたしは親失格だなと思ったことも。

 最近二冊の本を読んでいました。

 コミュニケイションの下手な家族というのはそれまでの育ちのなかにあたたかな、お互いにとってプラスになるような会話の経験が少ないということがあるのではと思いました。夫婦が真剣に話合うことを当然とどれくらいの家族がしているでしょう。

 話し合いがない大きい理由は話し合いの必要を本当は感じていないからのように思います。小池龍之介さんが本のなかで現代人は一般的に「聞く」ということに心を向けて寄り添わせること、集中して人の話を聞くということが苦手になっているように思うと書かれていました。重要な問題であっても直面することから逃げていたり、はじめから限界やだめだと諦めたりしている場合があるようです。自分の立ち位置をこのようにはっきり固めてしまう、それも理解できないではないのですが、それではすまないことがたくさんあり、簡単では済まない問題ほどよほど力を合わせて、お互いの心が見えるようにしないとよい方向には向かわないのです。

 誰もが完全ではないのですから、時にはお互いにしんどい会話になってしまうことも避けられません。1人1人皆違い、そして一人ひとり不十分で欠点だらけでそれでも素の自分を出して理解しあう、そういうシンドさを覚悟しなければ現代という時代の困難さをきりぬけてはいけないのだと思います。本当に会話が成立するのは自分が変わりたいと真剣に思い、求めて求めて、きっとどこかに光があることを信じて自分が変わり続ける努力をすること、そこにコミュニケーションが生まれるのかもしれません。

  年初めに見た占い、大殺界の三年目、あまり良い年ではなさそうです。気になることが書かれていました。厳しい坂を越えなければならない年なのかもしれません。


違和感 [日々のくらしから 家族、社会、自問]

 安全保障関連法案を巡る国会審議がはじまっています。国論は大きく言うと二つにわかれているようです。一つは世界情勢の変化に伴い、集団的自衛権が必要である。さらに戦争の放棄、武力行使の禁止をうたった憲法の縛りから、時代に合った安全保障政策に変えていこうという考えと一方には国際紛争解決の手段としての国権の発動としての戦争、武力による威嚇又は武力の行使は永久にこれを放棄すると定めた憲法九条を守り、さらに他国との関係において一層憲法9条の考えを追求すべきという考えとの間の開きのように思われます。複雑でわかりにくいのは解釈改憲によって明らかな憲法九条との矛盾をむりやり推し進め事実上の改憲をしていることだと思います。

 安全保障関連法案の成立を必要とすると政府がいう世界情勢の変化について、日本の存立があやうくなるかもわからないような緊張や武力衝突の危険とよく考えないでスラスラと受け入れていいものなのか、どうも違和感をぬぐえません。その世界情勢をどうみるかということも大切だと思います。さらにもし、国家間、地域間の紛争や対立のようなものがあるときほど戦争や武力の行使を避け国と国、地域間の平和への努力が必要と思うのですがどうでしょうか。戦後の日本は戦争の放棄と交戦権の否定のもとでそういう努力もしてきたと思います。今議論されている安全保障関連法がそのような目的にそうものなのか国民一人一人が真剣に考えなければならないのだと思います。

 曽野綾子さんの「ある神話の背景」を読んだのはもう何十年か前でしたが、今もう一度読んでいます。沖縄の渡嘉敷、ケラマという島の名前を知ったのはこの本でしたが、読んだ時の衝撃が大きかったので、友人の何人かに感想をはなしたことがあります。友人の一人は曽野綾子さんの本を読むとイライラして頭が痛くなるといっていましたが、読みなおして確かに視点が独特だと思うところがあるように感じました。それはさておいて、本に書かれていることは衝撃的で重い内容です。曽野さんはそれぞれの立場の人の証言を選択しないで載せているので、島に最後まで残った人間魚雷を装備した海上特攻隊の赤松隊の状況や軍人の考え方、家族が家族を殺しあう悲劇の背景が見えてきます。この本を読むまで、いろいろな映画や本などで知ってはいましたが、本当の戦争の惨さ、非人間性、どんなに戦争が平静からほど遠い地点に人間を連れ去るものか、あらためて真実を知らされたと思いました。沖縄だけではありません。こういうことをこれからの世代に味あわせることはあってはならないと思います。大東亜戦争当時も今も沖縄が背負わされてきた過酷な歴史を思うと沖縄の人びとが世界で一番危険といわれる普天間基地の撤去を願い、さらに新しい基地の建設には県民がひとつになって反対する気持ちは当然だとわたしは思いました。

 不安感と違和感の中で、保坂正康氏の「本当に平和ということを考えるならば、戦争を知らなければ決して語れないだろう。だが日本という国は、あれだけの戦争を体験しながら、戦争を知ることに不勉強で、不熱心。日本社会全体が、戦争という歴史を忘却していくことが一つの進歩のように思いこんでいるような気さえする。国民的な性格の弱さ、狡さと言い換えてもよいかもしれない。」という言葉を重く、受け止めたいと思いました。


わずかでも戦争を知っている最後の世代から [日々のくらしから 家族、社会、自問]

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 地元の人がおもに訪れるのでしょうか、川べりは満開の桜なのですが見に来ている人はほとんどみかけませんでした。川魚を探していた高校生のグループやこの春幼稚園に入るという制服を着て写真に納まってピースしていた男の子とお母さん、こんにちわと元気に挨拶してくれました。 のどかな風景です。

 春真っ盛り。二日続けての花見になりました。昨日は雲一つない快晴、翌日からは下り坂というのでかねてから尋ねてみたかったお寺をたずねることにしました。知らない街をのんびり一人旅です。比確的新しい街並みなので駅を降りてしばらくしてぶつかる街並みは広い街路と二車線の幅広の道路、都心のようなビルはないので空が広く明るい印象です。本を一冊持って今日の目的は読書と花見とお寺さんを訪ねること、健康のために歩くことです。三時間強歩いたでしょうか。

 血圧と中性脂肪を下げる薬を朝、一錠ずつ飲むようになったためか、百をちょっと出る程度に下がりました。下がりすぎかな。薬には慎重になってしまうわたしです。ちょうど昼時なのであまり食欲はありませんでしたが、手打ちそばのおいしそうな店があったので、そこでエビ天せいろをいただきました。きりっとした腰のあるかみごたえがあっておいしい蕎麦でした。

 最近テレビを見ることは随分少なくなりました。ニュース系は一日一回くらいどこかの局のニュースや報道番組を見るくらいであまり見ません。こころの平安のためには。最近のテレビ番組、お笑いバラエティ、旅や食べ物などの番組がめじろおしですね。こころを使う疲れるようなことは視聴者も避けたいのでしょう。国会討論など本音を隠してどれだけ相手を説得するかそんな印象さえうけてしまうことがあります。おかげで本を読める時間がふえました。今日持参したのは最近店頭で見かけた「日本に恐ろしい大きな戦争がせまりくる」という本です。この本をどう評価したらよいのか、不勉強なので私にはわかりません。しかしずっと終戦から70年を経て今起きていることをずっと見ながら生活して何かおかしいと感じてきたことや、世界の中で起こっていることの中心にどんなことが推移しているのかを知りたいと思っていましたので、ふつうの人では知りえないアメリカ政治の内情、世界の政治の裏側などなるほどと実感と一致するところありました。ただ何かを判断したり、考えたりするうえで、一つの本や一部の本だけに頼ることはしたくないと思いますし、その時考えた自分の考えも何度も検証しなおして懐疑する必要があると思っています。

 私と同世代の人はだいたい太平洋戦争が始まる前後から終戦までのころに生まれています。当時に生きていた大人は皆、あんな戦争はもうしてはならないといいますが、その時代を生きた人たちは少なくなっていて、大多数は戦後生まれの戦争を知らない世代の人たちです。人類はこれまで七、八十年に一度大きな戦争をしてきているそうですが、この七、八十年という時間は考えてみると、同じ時間に生きていた祖父母、父母、子供という三世代が一巡して入れ替わる時間です。つまり祖父母の時代、父母の時代の経験は子供あるいはその子どもの子供には体験としてはゼロなのです。子どもはまったくあたらしいところにいるわけです。今の若者、子供たち、あるいはその親たちは昔の子供や若者とは比較できないくらい、国のかべや人種の違いによる偏見、差別意識から解放されて、同じ人として交流できて、問題があればそれを解決する力も備わっていると思います。しかし戦争の時代に子供だった世代が戦争を知る最後の世代で、その人たちも残り少なくなっている今、戦争時代の経験をできるだけ広く、正確に知ってほしいと思います。戦争とはどういうものかを知ることができるでしょう。そしてなぜ戦争になったのかを知ることも大切だと思います。

 少し前になりますが、何十年ぶりかで、学生時代の同級生七、八人が顔をそろえたことがあります。全国に散っているので会えたのは本当に久しぶりでした。日本的な涼やかな感じの美人さんだったAさんのその後をまるで知らないでいましたので、現在は保育園を経営して畑仕事などを楽しんでいるというお話にも驚きましたが、もっと驚いたのは彼女が話してくれた子ども時代のことです。同級生や仕事仲間からもいろいろの戦争体験を聞きますが、彼女が北満州から引き揚げてきたことは初めて知りました。彼女もこれまでクラスメートに語ったことはないそうです。その少し前に「星になった子供たち」という映画をみていたのですが、彼女が暮らしていたところは同じ開拓村で、戦争の終わりから日本に帰りつくまでにであった苦難はあの映画の子供たちと同じものでした。その中で彼女が忘れることのできないエピソードを話してくれました。やっと帰国船にのるというときに、彼女のお母さんになついてついてきていた一人の少年を置き去りにせざるをえなかったそうです。その少年は親兄弟もなくたった一人だったそうです。お父さんがそんなことを言っていられる時かと激しくお母さんを叱責したそうです。子どもには恐怖や飢え、寒さなどの記憶しかなくてもあの時代、子供をまもらなければならなかった親たちの気持ち、苦労はどんなだったでしょうか。

 職場の人たちが戦争体験を記憶に残そうと文集を作ったことがありました。軍国少女だったという一人の人は今もスラスラあの歌を歌えるといいます。

 勝ち抜く僕ら少国民

 天皇陛下のおんために

 死ねと教えた父母の

 赤い血潮を受け継いで

 心に決死の白たすき

 かけて勇んで突撃だ

 「日本に大きい戦争がせまりくる」というこの本は誇大な脅しではなく、混迷する世界の中で、いつ大きな衝突に日本が突入するかもわからない危機をふくんでいる今、頭の片隅に入れておいていいことではないかと思いました。

 絶対に戦争をしてはいけないという固い決意と覚悟が必要だと思います。平和のなかでお互いの命を大切にして生きる道を何としても探さなければならないと思います。


弱者に対して恐ろしいほど酷薄な国 [日々のくらしから 家族、社会、自問]

日刊スポーツの政界地獄耳という記事で、岩波書店のPR誌、図書での赤川次郎さんの言葉がのっていました。

 政府の産業競争力会議での女性を活用という成長戦略について「今、日本は弱者に対して恐ろしいほど酷薄な社会になってしまった。とくに子どもの貧困や、母子家庭の半分が年収120万以下という状況は、とても文明国とは言えない。こんな状況を放置して「女性の力の活用」など平然と発言できるのはどういう神経なのか」、、、という内容、日ごろニュースに接するたびに感じていることと同じでした。日本は弱者に酷薄、鞭打つような国になっていると感じるのは多くの場合自己責任と思われているからかもしれません。誰も問題を表に出すことができない、それは自分の努力の足りなさ、責任を公にすることでしかないからです。

 次の時代を担う子どもを育てることがどんなにたくさんのエネルギーのいる、重要な仕事であるか、だれかに頼んで自分は働きにでればいいというような問題でないことは当事者が一番知っています。子どもを育てる仕事と女性も社会的な仕事に参加して社会に貢献できる、あるいは経済的な力も持つということは自然で国が本来するべき重要な施策でしょう。女性が活躍することで社会がもっといろいろの人間的可能性を広げることはできるということはいえると思います。でも成長戦略の一環として女性の活用をと今言われていることはご都合主義で女性を利用しようとしているだけ、とても大事なことが抜け落ちているように思われてなりません。子どもを育てることができなくなったり、一層の過重労働と総体的貧困化に拍車がかかるようであってはならないと思います。

同じ産業競争力会議で深夜の電車やバスなどの運行をさらに広げようという政策が検討されているとニュースになったことがありました。深夜にバスや電車を動かす人がなければ電車は動きません。夜中に命に係わる重大な病気になった人が診てもらえるお医者さんがなければ困るでしょう。夜中に起きた火災の救助にむかってくれる消防士さんがなければ困りますが、深夜労働はできるだけ必要なものに限られるべきでしょう。そしてそういう仕事にはきちんとした対策が取られるべきでしょう。しかし夜眠ること、家庭に父や母がいることは人間にとって、子供にとっても大切なことです。経済活動が昼夜を問わなくなることによって働く人の仕事の仕方も変わる、疑問は膨らんでしまうばかりです。命が守られる政策は第一義的であるべきではないでしょうか。


シンプル [日々のくらしから 家族、社会、自問]

人生って想像したり考えたりするより、明確でシンプルなのかもしれないなんて最近思っている風船蔓です。

それをごちゃごちゃにしたり、複雑にしたり、自分を困らせたりとカオスにするのは人間なのかもしれない。


細木数子さんの六星占術を読んでいました。人間の世界というのはひじょうにきびしい因果の法則が成立していると細木さんは書いています。本当にそうですね。釈迦もすべてのことが因果の上に成り立っていると説きました。因果の行く末に心を払わない、もしくは不明、自分が望まない結果を招来するとしたら人間ってかなしい存在ですね。
一即多、多即一であっても、一である私は本当に小さな微粒子のようなもの、自分の手足の届くところで考えます。自分も他人をもできるだけ傷つけないようにと。

そしてあなたを大切に思っている、幸せであることを祈っていると伝えたい。

 今日の昼ごはん、なににしようか。生活防衛一段とがんばって。一山五百円のトマトと玉ねぎを使って。玉ねぎはちょっと品が落ちますが、使いでがあります。庭の朝どれハーブを使って。

 サケの塩焼き、とまとサラダ、きゆうりとなすのめかぶとろろあえでした。


大人になることのむずかしさを読んで  3 [日々のくらしから 家族、社会、自問]

 なぜ現代モラルハーザードともいわれるようなことが進行するのでしょう。ニュースを見るのが怖いし、暗い気持ちにもなったりします。しかし、暗い気持ちにばかりなっているわけにはいきません。未来はもっと明るい希望のあるものでなければならないと思います。未来の彼らが平和のうちに力強く生きていけることを願わずにいられません。

 話を「大人になることのむずかしさについて」の感想に戻そうと思います。

 この書物のなかで河合さんは厳密に言えば大人といっても日本的大人なのか西洋人的大人なのかという問いが成立するほどこの問題は難しいということを言われています。日本人の自我の形成と西洋での自我の形成にはちがいがあるからで、日本人がその自我を作り上げていく過程で、西洋人とは異なり、はっきりと自分を屹立しうる形で作り上げるのではなく、むしろ自分を他の存在のなかに隠し、他を受け入れつつ、なおかつ、自分の存在をなくしてしまわないという複雑な過程を経てこなければならない。しかし、それが、他にたいする配慮のあまりに常に他の人はどう考えているのか、他の人に笑われないようにしようということが強くなりすぎて、西洋人からは「自我がない」というようなことになってしまいかねない。しかし両者のあり方は一長一短であり、軽々しく判断を下すべきではないと筆者は考えていると述べていらっしゃいます。大人になるということの中には絶えず自分としての自己の在り方と相手との関係ということがあるわけで、西洋人の他と切り離して個として確立しており、自分の存在を他に対して主張していく西洋流も行きつまりが見えてきて、今最も大切なことは従うべきモデルがないということを、はっきり認識することではないかという河合さんの指摘は迷い悩み苦しんでいる若者にとっても大人にとっても考えるうえで重要だと思いました。そこから自分たちの課題、やるべきことが見えてくるのかと思います。

 日本人的な自分のつくり方にしろ、西洋人的な自我の形成にしろこれからの時代がすべての人間の尊厳が守られ、平和の裡に自分を成長させながら、自己実現が可能なような世界であってほしいと願うのですが、人にできることは自分についてにつきるのでしょう。

 先ごろ、NHKのクローズアップ現代で若い女性の貧困がとりあげられていました。若い女性の多くが不正規労働で、仕事先も不安定、賃金が安く、労働時間も長い中で子育てをしたりしています。仕事と育児と経済的貧困などの中でぎりぎりの生活をしている人も多い。希望なんてない、夢もないという若い女性たちの言葉。彼らがこれから子どもを育て、社会の中心になる人たちであることを考えたとき、若い人たちの前に立ちはだかる壁の大きさ、彼女たちが背負っている課題の大きさに心がいたくなりました。人として成長していくことと社会の成長、特に経済的成長とはどんな関係にあるのでしょう。本来は別の問題だと思いますが、関係するとしたらどんなふうに関係するのか考えてみることが重要だと思いました。生きるために食べなければならない、そのことが自立や自己決定を阻んでいるということはないでしょうか。食べることができない、命を維持することが難しいという状況があればあるほど心を拘束する社会の支配の仕組みは強固になるのではないかと思うのですがどうでしょうか。

河合さんは「この本を大人がどうすればよいかという視点より、青年たちはいかに苦悩しているかという視点で書き進んだ。我が国の青年の直面している問題を共に考えていこうとするものである」といわれています。この本を読み終わって、若い人たちの一つ一つの出来事にこせこせしないでゆっくり、ゆとりのある気持ちでいたいと思いました。


考えるということ。 [日々のくらしから 家族、社会、自問]

 阿弥陀の本願ってどういうことだろう。私流に思った、もしかしたらちがうかもしれないが。阿弥陀様の本願って本当はすごいことなんだなと思う。この世界に生まれ、今生きている人もすでに物故となっている人も、どんな形で、どこで生きている人であっても、すべての人の苦悩、喜怒哀楽のすべてを心に刻んで、心から大切に思わずにいられないという。そこにあるのは通りいっぺんの善悪ではない。「考えること」は阿弥陀の願いのような生きとし生けるものへの分け隔てない慈愛、存在への深い理解と愛から出発し考えることなのではないだろうか。

 岩波ホールで「ハンナ・ハーレント」が今上映されている。行けるときに行かなくちゃとこれという予定がなかったので急ぎ出かけた。この日は秋らしい気持ちのよい晴天でした。適当、ゆるきゃらの普段のくせが災いして神保町についたときはとうに昼過ぎ、二時近く。二回目の上映がはじまってしまっているかしらと気が急いたが、間に合ったと思った時、満席のため券の発売が終了しましたという説明、仕方なく、夕方の上映まで待つことにしました。この日は古本祭りということで通りという通りが人と書籍にうめつくされていました。あまりの本の多さと人ごみに何か探そうという気分にもなれず人ごみを分けて進みながら、二、三度、立ち止まって、二冊購入。「うつと上手につきあう心理学」と「残したいね日本の風景」しめて400円でした。裏通りのコヒー店へ入って食事。シャンソンが流れる落ち着けるカフェでした。メニューはカレーとスパゲティだけですが、少し甘みのある、深みのあるおいしいカレーでした。買った本を拾い読みしてこちらも買ってよかったと満足、ゆっくりしたコヒータイムを過ごせて得した気分でした。

 肝心の映画は考えるということについて、なんどもなんども幾重にも深い問をつきつけられました。

 ハンナ・アーレントがエルサレムの法廷でのアイヒマンに発見したのは凡庸な人間の悪の無思考性でした。非人間的な状態が、あたかも当たり前でノーマルででもあるかのように進行するとしたら恐ろしいことです。理解しなければならないと思います。とても難しいことですが。

「思考しても人の英知など得られない。役に立たないのだ。思考しても世の中の謎が解けるわけではない。我々は生きている。我々には命があるからだ。」これはナチスの台頭を前にして(ナチス親衛隊に参加したハンナ・アーレントの師)ハイデッカーがハンナに語っている言葉です。

 戦後、ハンナ・アーレントはハイデッカーに再会しますが、「ここに来たのは理解するためよ」というハンナにハイデッカーはこんな言葉を語っています。 「私は無自覚で夢見がちは子供だった。私には政治的な才もない。だが、この間に学んだよ。今後はさらに学んで考え抜くつもりだ」と。

 見ること、感じること、思うこと、考えることによって希望につながると思いたい。


2011-08-08 [日々のくらしから 家族、社会、自問]

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 DSCF1580 (2).jpgこのところ、更新をすっかりサボり気味です。今日は暑さが戻って、湿度も高いので、快適とはいきませんでした。でも時々開け放した窓から涼しい風がはいってきます。

ちょっとうれしかったニュースから。最近大腸がんの内視鏡検査を受けたのですが、問題はありませんでした。七、八割怪しいと思っていたので。「たぶん過敏性大腸でしょう。心配ないということを証明するために、検査しましょう」と。一度何十年かまえに受けたことがあり、二度と受けたくないと思っていたので、キャンセルしようか悩んだ末、やっぱりゴメンですね。まあ結果はよかったので、命がのびた思いです。

このところ、本多勝一編の「子どもたちの復讐」上下とさらに関連して「こどもがなぜ親を殺すのか」(菊池良輔著)などを続けて読んでいました。ちょっと重すぎる問題なのですが。これらの本が出たのは1979年から198O年代で、いまからはかなり前です。が、どうしてももう一度しっかり読み直してみたいと思いました。やはりこの本が検証している問題は特殊ではなく、今も象徴的な問題で、形や質的にも様々に変わってはいても、次の時代を考えるうえで重要な意味をもっていると思いました。

たぶん知っていらっしゃる方が多いと思いますが、「子供たちの復讐」は激しい家庭内暴力の末に開成高校生Aが父によって殺され、続いて母が自殺した事件、もう一つは祖父と父がともに学者という家庭で、当時有名私立高一年生だった少年Bが祖母を殺害し、そのあと遺書を残して自分もビルからとびおりて自殺した事件をあつかっています。

もう一度読み直してみて、とくに上巻「開成高校生殺人事件」は初めて読んだくらいに新たらしく知ったこと、考えたこと、思いを新たにしたことがありました。

祖母を殺し、自分も自殺した高校生は遺書のなかで、家族にすさまじい乱暴を働いたあの開成高校生の気持ちがよくわかる、彼は私と全く同じ気持ちだったのだと書いているのですが、二人に共通する、言語で表現することのできないやり場のない怒り、ありきたりの進学問題にとられてしまう無念さと表現した感情の背後にある問題とはなにかについて考えさせられました。到底あってはならない行為、事件に発展してしまった裏側に、彼らが求めていた父性に出会えなかった、あるいはずれていたという不幸、そして新しい自画像を作ることも、新しい価値観も見つけられなかった不幸(医者やカウンセラー、学校、広くは社会もふくめて)があったのではないかと特に開成高校生の事件では強く感じました。

父性について河合隼雄さんが次のような指摘をしています。欧米では「父なる神」を背後に持っているからこそ核家族が可能なのですね。そういう父なる神というものに、小さい時から鍛えられて戒律を守り、神の教えに従う人間として成人するから、結婚して子供を産んで一つの家をつくってもやっていける。現在の日本人は、まだまだ母性原理を温存していて、男も女も核家族を作るような人間としての鍛え方をされていないのが実情です。人間が鍛えられる前に経済的に核家族が可能になってしまった。だから本当の意味の父も母もいないような家がいっぱいある。本当の母とか父とか求めてもいないということになると。

A少年、B少年がぶつかってもがいて苦しんだ壁、新しい自画像を作れなかった原因はなんだろうかと考えました。痩せ細った教育力、自然や血縁、地縁社会の崩壊とともに剥き出しの個人が一人一人で、アイデンティティを揺さぶられているように思えます。それは少年だけでなく、少年の父や母にとっても、そしてわたしにとっても同じ問題だと思えました。課題ははっきりしたように思えます。若い人たちの動きをみるとすでにものさし一本の価値観から抜け出している人も多いのかもしれないと思うことがあります。それは一部の人かもしれませんが。あまり恐れずに一歩、一歩を歩むことかもしれないと思いました。


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