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わずかでも戦争を知っている最後の世代から [日々のくらしから 家族、社会、自問]

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 地元の人がおもに訪れるのでしょうか、川べりは満開の桜なのですが見に来ている人はほとんどみかけませんでした。川魚を探していた高校生のグループやこの春幼稚園に入るという制服を着て写真に納まってピースしていた男の子とお母さん、こんにちわと元気に挨拶してくれました。 のどかな風景です。

 春真っ盛り。二日続けての花見になりました。昨日は雲一つない快晴、翌日からは下り坂というのでかねてから尋ねてみたかったお寺をたずねることにしました。知らない街をのんびり一人旅です。比確的新しい街並みなので駅を降りてしばらくしてぶつかる街並みは広い街路と二車線の幅広の道路、都心のようなビルはないので空が広く明るい印象です。本を一冊持って今日の目的は読書と花見とお寺さんを訪ねること、健康のために歩くことです。三時間強歩いたでしょうか。

 血圧と中性脂肪を下げる薬を朝、一錠ずつ飲むようになったためか、百をちょっと出る程度に下がりました。下がりすぎかな。薬には慎重になってしまうわたしです。ちょうど昼時なのであまり食欲はありませんでしたが、手打ちそばのおいしそうな店があったので、そこでエビ天せいろをいただきました。きりっとした腰のあるかみごたえがあっておいしい蕎麦でした。

 最近テレビを見ることは随分少なくなりました。ニュース系は一日一回くらいどこかの局のニュースや報道番組を見るくらいであまり見ません。こころの平安のためには。最近のテレビ番組、お笑いバラエティ、旅や食べ物などの番組がめじろおしですね。こころを使う疲れるようなことは視聴者も避けたいのでしょう。国会討論など本音を隠してどれだけ相手を説得するかそんな印象さえうけてしまうことがあります。おかげで本を読める時間がふえました。今日持参したのは最近店頭で見かけた「日本に恐ろしい大きな戦争がせまりくる」という本です。この本をどう評価したらよいのか、不勉強なので私にはわかりません。しかしずっと終戦から70年を経て今起きていることをずっと見ながら生活して何かおかしいと感じてきたことや、世界の中で起こっていることの中心にどんなことが推移しているのかを知りたいと思っていましたので、ふつうの人では知りえないアメリカ政治の内情、世界の政治の裏側などなるほどと実感と一致するところありました。ただ何かを判断したり、考えたりするうえで、一つの本や一部の本だけに頼ることはしたくないと思いますし、その時考えた自分の考えも何度も検証しなおして懐疑する必要があると思っています。

 私と同世代の人はだいたい太平洋戦争が始まる前後から終戦までのころに生まれています。当時に生きていた大人は皆、あんな戦争はもうしてはならないといいますが、その時代を生きた人たちは少なくなっていて、大多数は戦後生まれの戦争を知らない世代の人たちです。人類はこれまで七、八十年に一度大きな戦争をしてきているそうですが、この七、八十年という時間は考えてみると、同じ時間に生きていた祖父母、父母、子供という三世代が一巡して入れ替わる時間です。つまり祖父母の時代、父母の時代の経験は子供あるいはその子どもの子供には体験としてはゼロなのです。子どもはまったくあたらしいところにいるわけです。今の若者、子供たち、あるいはその親たちは昔の子供や若者とは比較できないくらい、国のかべや人種の違いによる偏見、差別意識から解放されて、同じ人として交流できて、問題があればそれを解決する力も備わっていると思います。しかし戦争の時代に子供だった世代が戦争を知る最後の世代で、その人たちも残り少なくなっている今、戦争時代の経験をできるだけ広く、正確に知ってほしいと思います。戦争とはどういうものかを知ることができるでしょう。そしてなぜ戦争になったのかを知ることも大切だと思います。

 少し前になりますが、何十年ぶりかで、学生時代の同級生七、八人が顔をそろえたことがあります。全国に散っているので会えたのは本当に久しぶりでした。日本的な涼やかな感じの美人さんだったAさんのその後をまるで知らないでいましたので、現在は保育園を経営して畑仕事などを楽しんでいるというお話にも驚きましたが、もっと驚いたのは彼女が話してくれた子ども時代のことです。同級生や仕事仲間からもいろいろの戦争体験を聞きますが、彼女が北満州から引き揚げてきたことは初めて知りました。彼女もこれまでクラスメートに語ったことはないそうです。その少し前に「星になった子供たち」という映画をみていたのですが、彼女が暮らしていたところは同じ開拓村で、戦争の終わりから日本に帰りつくまでにであった苦難はあの映画の子供たちと同じものでした。その中で彼女が忘れることのできないエピソードを話してくれました。やっと帰国船にのるというときに、彼女のお母さんになついてついてきていた一人の少年を置き去りにせざるをえなかったそうです。その少年は親兄弟もなくたった一人だったそうです。お父さんがそんなことを言っていられる時かと激しくお母さんを叱責したそうです。子どもには恐怖や飢え、寒さなどの記憶しかなくてもあの時代、子供をまもらなければならなかった親たちの気持ち、苦労はどんなだったでしょうか。

 職場の人たちが戦争体験を記憶に残そうと文集を作ったことがありました。軍国少女だったという一人の人は今もスラスラあの歌を歌えるといいます。

 勝ち抜く僕ら少国民

 天皇陛下のおんために

 死ねと教えた父母の

 赤い血潮を受け継いで

 心に決死の白たすき

 かけて勇んで突撃だ

 「日本に大きい戦争がせまりくる」というこの本は誇大な脅しではなく、混迷する世界の中で、いつ大きな衝突に日本が突入するかもわからない危機をふくんでいる今、頭の片隅に入れておいていいことではないかと思いました。

 絶対に戦争をしてはいけないという固い決意と覚悟が必要だと思います。平和のなかでお互いの命を大切にして生きる道を何としても探さなければならないと思います。


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コメント 4

majyo

貴重なお話をありがとうございます。
私も「戦争を知らない世代」です。
しかし、色々な事から想像はできます。
そして、その想像する戦争が 近づいてきているように感じてならないのです。
>同じ時間に生きていた祖父母、父母、子供という三世>代が一巡して入れ替わる時間です
これは他でも書かれていましたが重いものだと思っています。
私が過敏と言うわけでもなく
多くの方が憂いています。
お友達のお話から 語り継ぐこと、そして話し合うことの大切さをひしひしと感じます
ご紹介頂いた歌・・・・・言葉もありません
そしてその頃の子供も疑問に思うことなく歌っていたのですね。今も危ないと疑問に思わぬ方が多い・・・
by majyo (2015-04-06 19:25) 

風船かずら

majyo様、返事がおくれてごめんなさい。難しい時代ですね。人間の未来なんて考えると悲観的になったりしますね。どうにかできることではないのですが。楽観的な人が羨ましかったりすることも。でも自分は自分で努力するしかないのかもですね。

by 風船かずら (2015-04-18 16:36) 

momotaro

majyo さんのブログのコメント欄から飛んできました。
「憎悪と戦争は経済的条件の原因が主たるものではないということに気付いている人はすくない、こんなに条件付けられ、訓練され、去勢され、愛国心といったような理由で戦って死ぬようにさせられないなら戦争など起こることはありえないだろう」を引用されているお気持ちがよくわかります。私は戦後生まれですが、思いは同じです。権力による条件付けには、力を合わせて、抵抗し続けましょう!
by momotaro (2015-04-21 22:12) 

風船かずら

momotaro様、コメントをありがとうございます。憎悪と戦争の基本のところに何があるのか考えています。戦う政治家、戦わない政治家、私は戦う政治家でありたいという阿部首相の戦うという言葉には違和感があります。momotaroさんも言われているように何と戦うといわれているのかはっきりわかりません。多くの人が願う経済成長も人間の尊厳を奪う原理にもとついているなら、それは命の否定にどこかでつながると思います。でも考えることはむずかしいです。返信が遅れてすみません。
by 風船かずら (2015-04-26 07:53) 

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