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加筆、そしてお礼とお知らせ

加筆

  ここから先は追加部分です。夕飯の支度の時刻が迫っていたので急ぎ切り上げたのですが.

 日記なら人に見せることを前提にしないから何を書いてもいいのですが、ブログに書くときは迷ったり考えたりします。でも誰かと自分の知らない人ともコミュニケイションすることの積極的な意味もあるのではという気持ちのほうが若干強くなったりして書いています。

  最近考えていたこと、前回も触れましたが、これからの日本の進み方を巡って重大な変換点にきているという認識は安全保障関連法案の審議の中にも、賛成反対どちらの考えの人の中にも共通した認識のように思います。その法案が今朝国会で議決成立したようです。この成立を持って終わりではない、一つの重要なエポックであることは確かですが、ある意味では平和主義と現憲法の理想主義では平和を守れないという考えとの相克がはっきりしている結果のように思います。今回の国会審議の過程ではっきりしたことはなんでしょうか。

 いろいろありますが最も大きな問題の一つは現憲法が明示している集団的自衛権の否定を解釈によって変更したことだと思います。現実的には日米軍事同盟の強化と日本の軍隊がアメリカの防衛も一部負担する可能性に道を開いたことではないかと思います。自分の国が他の国から攻撃された時の自衛権は今までも憲法上も認められると考えられていたのですが、これからは日本が直接攻撃されていないときでも、同盟関係にあるアメリカの戦艦や戦闘機、通信その他の防衛が法律上可能になり、実際上は日本とアメリカの共同軍事行動が強化されるでしょう。この安保法案の前に秘密保護法が制定され、どういう歯止めがかかるのかは明確にはされなかったことではないでしょうか。国民が一番懸念していることは、安倍政権が最初から国会での安定多数の上に、国会審議より前にアメリカにおいて法案の成立を約束し、国会審議の中でも、重要な野党の指摘にはあいまい、時には前後の統一のないはぐらかしの答弁に終始、疑問は明確にされないまま、採決されたことです。日本の憲法は今も健在です。日本憲法の平和主義は世界が混沌とし、暴力による制圧、衝突が繰り返され、希望が損なわれ、その犠牲となる人々が数多くいるなか、人類の行く末を考えるうえでも大事な理想だと思います。現実は単純でもなければ、一つの考えで進むわけではないのですが、複雑さの中で理想は追求されなければならないと思います。

 一国だけで平和は守れないということが法案賛成の人から多く聞かれました。現憲法の平和主義を世界の憲法にと考える人たちでも一国だけで平和が守れるなどと考えている人はいないでしょう。どう平和を目指すか手段の問題で、アメリカとの軍事同盟を強化することが世界の平和貢献に役立つという考えについても、このことが安保法制の理由でもあったのですが、もっとしっかり国会で討論すべきことではなかったかと思います。アメリカも一つではありません。どんな大統領が出るか、いろいろな考えがあり、またアメリカも自国の国益を考えることでは他の国同様でしょう。日本に自分の国の国民の生活安全からイエス、ノウをはっきり言う力があるのでしょうか。

 それはこれから主権者である国民が決めることだと思います。若い人たちが政治に無関心と長いこと言われてきました。六十年代から七十年にかけては若い人も政治に関心を持っていたと思いますが、それから四、五十年の間に変わりました。だが、これからの国の在り方、暮らしは彼ら自身、若い人の問題でもあります。地球の未来、人類の未来を考えれば戦争は絶対悪であり、解決されなければならない問題は複雑で多様だと思います。学んで知恵を出して、古い時代を超えてほしいと思います。そして隣の国、中国、韓国、北朝鮮とどうしたら平和な関係を築けるか、考えてゆきたいですね。

  信仰としてではなく、特にお釈迦様の本を時々読むようになって、私(自我)と空、無私との関係が気になっていました。私はいるのに「空」とか「無私」とか実際にいる私とどういう認識になるのかしら、長い間疑問だったのですが、だんだん腑に落ちてきたように思います。実際の私は苦しいとか、悲しいとか不安とかをしばしば感じたりして、つい最近だって、なぜか哀しくて、不安で無力感にとらわれていたりしました。実際に生きている人間は喜怒哀楽から自由に無関係ではいられない。釈迦がこんなことを言っているというのを小池龍之介さんの「ブッダの言葉」で読んだことがあります。「私はこれまでいろいろのところに出向き、いろいろな人に出会ったが、自分が一番かわいい、そうでないという人に出会ったことはないと。」人は自分が一番かわいいのだということを認めていいのだと思います。しかし人は生まれ落ちたその瞬間から人の中に、世界の中の存在として生きるのですから、たった一人誰もいない孤島で生涯生きるのでないことを考えれば、私だけの世界などでないことがわかります。ですから人の一生は自分と他人、自分と世界との関係の問題なのでしょう。そこにまた生きることの意味、豊かさもあるのでしょう。

 人生を背後から操る黒幕は?生存本能の無意識な命令のままに無自覚に支配される奴隷のような、自己愛とか我執といったもの、それが黒幕なのだとお釈迦様は悟られた。他者と自分との関係やカルマの法則を自覚すること、自我や自分の欲望といった自分を超えてみることが必要なのかと思いました。ある意味の自己否定、無になるということなのだと思いました。小池龍之介さんの「ブッダの言葉」によると欲、怒り、迷いという名の悪をつくらず、心を善く整えておき、心を清め性格を改善してゆくこと、これが仏教の教えのエッセンスという言葉、よく考えてみたいと思いました。

 お詫び&訂正 &お知らせ 

  阿部、どうも変? 阿部って誰じゃ。ずっと間違ったまま、私の頭大分老化しつつあるかも。安倍の間違いです。昔からうっかりしているところがあるので、すみませんでした。

   今回の記事を最後にこれからの記事の更新はおわりにしようと思います。長い間訪問やナイス、コメントをくださいました方々に深いお礼を申し上げます。いろいろな方のブログへの訪問はこれからできるかと思いますのでよろしくお願いいたします。ちょうど始めてから十年、その間に書いた記事はかなりの数なのですが、そもそもブログを始めた中心テーマのなかから一部だけ消去しないで残すことにしました。最近若いかたの訪問もあったように思うのですが、高齢の人にとっても若いこれからの人にとっても課題は同じ、意見の交流があるのは大切と思います。家族、社会、主体などのテーマの過去記事ものぞいていただけたら嬉しくいます。

            2006年10月から始めたブログ,マンネリ化したように思い閉じましたが、新しいブログを更新しています。

  http://it18skbl.blog.so-net.ne.jp/  hikariと雲と  気が向いたらお立ち寄りくださいませ。


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majyo

日本だけ何もしないで良いのか?
一見もっともらしく聞こえますが
そうでしょうか?
日本国憲法は、他国を圧倒した日本軍に対して
戦争は二度としてはいけない。
指導者の暴走に対して主権は国民にあるとしました。
これは国連憲章その他いくつかの合作なのですが
人類の理想でもあります。
戦争放棄の国がするべきことは、
率先して、平和活動に寄与する事だと思います

しかし、それが2015年9月19日 崩れました
また、崩れたものを片づけ、そして元に戻したい


by majyo (2015-09-20 22:30) 

風船かずら

majyoさん、コメントありがとうございました。山本太郎さんが法案が通過した日、喪服を着ていらっしゃいました。これまでも民主主義が否定される歴史はたびたびあったと思いますが、今回こんなにも無残に否定されたことに多くの国民が驚きと疑問を持って受け止めたのではないかと思います。国会周辺のデモの人の数だけを言っているのではなく、きわめて議論が平行線で上滑りする中で、大事なことが決まっていく不思議。これは怖いですね。本当に民主主義が育つかはこれからですね。
by 風船かずら (2015-09-21 16:30) 

風船かずら

AKI様、過去記事まで読んでくださって嬉しく思います。ありがとうございます。
青の風画様、trapapa様、 yam様、シルフ様、アルマ様、 ryo1216様ナイスありがとうございます。


by 風船かずら (2015-09-24 09:23) 

風船かずら

長友様、ナイスありがとうございます。これまでなかなか訪問できなかったところに訪問したいと思っています。よろしくお願いします。
by 風船かずら (2015-09-26 08:44) 

風船かずら

mwainfo様、 Brerrabbit 様  okin-02様ナイスありがとうございます。
by 風船かずら (2015-09-27 13:35) 

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