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安倍政権、安全保障関連法案への疑問 [日々のくらしから 家族、社会、自問]

 安全保障関連法案は関連する10ほどの法案の一括審議で、先ほど衆議院で強行可決されました。ふつうひとつの法案でも十分な審議が必要ななかで一括で、百時間ほどの審議をしたから十分議論した、決めるときには決めなければならないという安倍首相、政府の主導で衆議院の審議はおわりました。

 議論に時間をかけるごとに疑問、問題点はどんどん出てきたように思います。多くなる疑問や問題点にはっきりした政府の回答はないまま、その意味では最初から政府の主張と野党の疑問とは平行線の様相で本当に議論が尽くされたとは見えないと思います。

 これからの日本の在り方を左右するだろう基本的重要な問題を数の多数で強行するやり方はファッショ的とさえ言われても仕方がないと思えます。とても民主主義を基本にしているとは思えません。政府が、リーダーは常に一歩大衆より先を読んで歩かなければならないと考えているとしても、国の最高法規としての憲法と立憲主義、国民の代表としての議会を無視したり、ないがしろにしていいことにはならないでしょう。憲法があるにもかかわらず、その憲法を無効にしたヒットラーが進めた過去の歴史。安倍さんに感じる不安の一つがあまりに自分の考え一つでことを運んでいることです。

 政府のこの間の主張は、国際情勢の急激な変化に伴い、緊急の事態、紛争の予防には一国では対処できず、集団的安全保障が必要である。また切れ目のない法整備が必要であるという説明です。

しかしこの主張にもいくつもの重要な指摘、疑問が出されています。 確かに国際情勢は日々激しく複雑に変化していて、その中でどう平和を維持していくか、自分の国と世界との平和をどうしたら図れるのか、単純でも簡単なことでもないということは国民のだれもが考えていることです。

 複雑、様々な動き、努力が重なり合って世界は動いているのですから、平和への努力も色々あってしかるべきだろうと思います。第二次世界大戦後、七十年間、日本が戦争の放棄、武力による紛争の解決はこれを否定、交戦権は持たないということを国の基本として戦争をしないで過ごせてきたのは戦争を体験した国民が過去の戦争の惨禍と犠牲によって戦争の恐ろしさ、愚かさを身をもって知ったことも大きい。平和憲法は押し付けられた憲法だから自主的憲法の制定をと言う主張もありますが、戦争はしてはならない、その理想を戦後日本の人々が自分の理想として歩んできたからだと思います。そしてその理想はこれからも国内にあっても、国際の関係にあっても引き継がれ追求されていかなければならないことではないでしょうか。

 私は政治的な発言をすることはあまり好きではありません。政治はエゴのぶつかり合いですきになれないからなのです。でも個人的な自分なりの生き方、努力、多様性などひとたび戦争になれば意味を持たなくなってしまうのです。個人などはなくなり、一つになって同じ方向に走り出さなければいけなくなるのが戦争です。相手の国の人にとっても同じでしょう。戦争は殺し合いなのですから。一度だけ自分の気持ちを書くことにしました。

 友人の一人に両親が戦争が始まろうというとき戦争反対の運動に参加して、故郷の人には赤と指差され、反戦運動をしたために一番危険といわれていた中国の前線に送られた人があります。父親のあとを追うようにして一家は中国に渡ったようです。父親は戦死し、母親と一番年上の十二、三才くらいの兄を先頭に幼い弟妹の手を引いたり背負ったりしながら、五人で高粱畑の中を昼間隠れ、夜に歩くようにしてやっと帰国してきました。彼女は非国民といわれても子供を戦争にはいかせないといいます。 徴兵制がなぜ苦役なのかと石破さんはいいました。国を守ることなのにということなのでしょう。なぜ苦役でないのか、戦争という手段を認めたくない私はどうしたら良いのかと思い惑ってしまいます。戦争をしないで共生する道を探したいです。

 先日の新聞に日本が購入することになっているオスプレイ17機のうち、第一陣5機、410億円が発注されたと報道されていました。財政難の中戦費もふくらんでいるのですね。


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コメント 3

majyo

久しぶりに風船かずらさんのご意見を拝聴いたしました。
すべて同じです。
国際情勢の変化は今に始まったものではありません。
それを踏まえて、憲法の範囲内でやってきましたが
今は、肩代わりとなろうとしています。
この無法が許されるなら、それはファッショに他ならないと思います。
議員の数だけ多数で、民意とは異なっています
そこにあるのは政権与党であるというおごり?
これから軍備拡大していきますから、税金は上がり、そして福祉は削られていくでしょう
欲しがりません勝つまではという図式になると思います。
反対者は、今は声をあげられますが、いずれはわかりません
戦争を知っている方たちが、あの頃と同じだという感覚は大切なものだと考えています

by majyo (2015-07-29 08:34) 

風船かずら

majyoさん、こめんとありがとうございます。絶望し虚無主義になったとき、自分を持たないことが簡単に全体主義に道を開くのかもしれませんね。「命を愛する者と命を否定する者」との戦いといった二イルの言葉の意味もこれまでいまひとつよくわからなかったのですが、すこしわかったように思うこの頃です。
これから難しいことも多い時代になると思いますから、よく考えてしっかりしなければならないですね。
by 風船かずら (2015-07-30 16:20) 

風船かずら

BrerRabbitさま AKI さま 青の風画さま majyo さま tweet_2さま、ナイスありがとうございます。
おたずねくださったみなさまへの返信が遅れがちですみません。
by 風船かずら (2015-08-01 09:04) 

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